2011/05/30

Eternal Punk : Alexander McQueen








   A l e x a n d e r      M c Q u e e n     


アレキサンダー・マックイーン



そろそろこの「哀しみの天使」について語ろう。


Xジェネレーション&ロストジェネレーションにとって

「起承転結」を見届けた、最初のデザイナーだ。













マックイーンの早すぎる死後

あらゆるメディアが追悼特集を組み

写真集もいくつか出たが、満足できるものはなかった。

(唯一ヴィジョネアだけが見物だったが、

植物の種が通関でひっかかり日本国内未入荷)




なぜかと言えば、

そのほとんどが2000年以降の

マックイーンしか見えていないからだ。




たしかに作品のクオリティと

ビジネス面においては

ジバンシー以降、グッチグループ傘下の

時代の方が上だろう。




だが、

ファッショニスタにとって

本当に面白いのは

樫山時代の90年代だ。



グッチ時代は彼の作品は「美しい」

だが

90年代の作品には「美しさ」だけではない

「スリル」があるのだ。



 


「起承転結」を見た今、そう言える。










だから、ここでマックイーンを語るのは

彼がノッてた時代
1997年の

『スタジオボイス』から始めよう。

(表紙は上に掲出)





















これは97年秋冬のコレクション。

サビルロー仕込みの技術と、ゴシックパンクの融合

まさに、アレキサンダー・マックイーン!!



この組み合わせのまま、

NYの回顧展に展示される。









いざ!インタビューへ













部分的に読みづらい個所もあるが読んで損なし!!

その努力は報われる。




(クリックし、さらにクリックで原寸大になります。)








文中、アジア人女性とあるのは、デボン青木の事。

まだ当時は認知されていなかった。










お気づきだと思うが、

ビョークのこのアルバム・カバーは

マックイーンとの共作























悪ガキのレッテルがはがれ

パリの老舗メゾン入りし

意気揚々

生気に満ちた彼の様子が

文章から伝わってくる。















今読み返してもっとも興味深い点は

ジバンシィに入った直後のこの時点で

後に自分を苦しめる

老舗のしきたり、スノビズムに

すでにマックイーン自らが触れていることである。





トム・フォードもサンローランの時、そうであったが、

クチュール・メゾンの、いわゆるお針子さん(=技術者)たちは

よくも悪くもプライドが高い。


彼女たちは、どこぞのアメリカ人や

イギリス人の悪ガキが

伝統あるフランスのメゾンに来ることを

良しとしないのだ。








ジバンシィでの経験は

確かにマックイーンをクチュリエにしたが

同時に彼が自由に羽ばたくための

天使の翼をうばってしまったように思える。

お腹のぜい肉ともども、ごっそりと。
















ただ、

マックイーンがジバンシィで見せた

「ブレードランナー」コレクションは

彼自身のコレクションも含め白眉だ。




電子基板とクチュール・ドレスの融合


















思い出せばだすほど悔しい。
















May U live 2 see the Dawn





poppo

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